本について
1969年初版の本である。50年ほど前、半世紀ほども前の本だ。
本書との出会い
メモアプリとして、 Obsidian というアプリケーションを勧められたことから始まる。
これの機能のひとつに、「ZettelKasten IDを付与してノートを作成する」 というものがあった。 このZettelKastenとは何だろうと検索したところ、GIGAZIENの記事(効率的なノートを作成できるドイツの社会学者が生み出した方法「Zettelkasten」とは? - GIGAZINE)が見つかった。
ZettelKastenとは、おおまかな理解で言うと「カード」という単位で一つの知識を書き込み、無数のカード間でリンクを作ることで蓄積とあらたな発見を見出して更に知識を生み出そう、というものと理解している。
で、件の記事のブコメを眺めていたところ、日本でも類似の技術があるというコメントがあった。
効率的なノートを作成できるドイツの社会学者が生み出した方法「Zettelkasten」とは? - GIGAZINEb.hatena.ne.jp日本では「知的生産の技術」によって五十年前に発明されていたやつ
2020/06/04 10:49
ZettelKasten について試してみたいと思っていたが、日本語でのちょうどよい情報資源があまり見つけられなかったので、それでは類似の技術を調べてみようと本書を手にとったのだった。
何が書かれているか
知的生産とはなにか・情報の生産に関する価値がいかに高まっているか という話にはじまり、知識の生産や整理のための(本書をよむ目的となった)京大型カードの話や、 本の読み方 、整理の仕方、タイプライターはいいぞという話、日記の書き方から原稿の書き方、果ては文章の書き方にまで言及されている。
面白かったこと
現代における情報の重要さ・扱われ方についての言及に違和感がなく、当時の年代を思えば、まるで未来視しているように思えた。
たとえば、プログラミング技術が、個人としてのもっとも基礎的な技能となる というもの。 2020年から(令和2年度から)小学校でプログラミング教育が必修化された。これはまさに、個人の基礎的な技能になりつつある証だろう。
【事務連絡】小学校プログラミング教育に関する取組について(周知)
また、コンピューターの操作が人間の最低の素養になると予想していた。 これはそういう時代が来たと言っていいだろう。老若男女ことごとくの手元に、スマートフォンがある。
総務省|令和2年版 情報通信白書|情報通信機器の保有状況 によれば、 2019年の段階で8割を超える世帯でスマートフォンが存在しているし、スマートフォンを保有している個人は国民の6割を超えているという。
氏が予想として想像しきっていたのか、あるいは読者がそのように導いたのかもしれない。と考えて面白がっていた。
もうひとつ目を引いたのは、日本語をひらがなだけで書こう。タイプライターで書こうというものだった。
自分の聴く Podcast Rebuild.fmのゲストに Naoki Hiroshima さん という方がいる。 Naoki Hiroshima さんは、日本語を使うときは"ひらがな"をつかう、ひらがなせいかつをしている。
ここに共通点があるのかどうかと興味が湧いて読んだのだった。
(読み終えた感想としては、ひらがなを使う動機が異なっていそうだな。というところ。 梅棹忠夫氏がひらがなタイプライターに至ったのは、"手書きで日本語を書いたのでは遅すぎる"、"文字の美醜で何かを評価されたくない"というところにあるように思う。 当時、文字を手書きより素早く出力できる手段にタイプライターがであったがゆえに、「タイプライターを使え。ひらがな だけもやむなし」 ということのようだった。
仮に、梅棹忠夫氏の手元に現代のPCがあったなら、漢字も込みで使い続けただろうか。あるいはIMEの変換すら煩わしくなって ひらがな だけを使うようになっただろうか、などと思いを馳せて面白く思った。)
繋がりを見つけられそうな本
過去に一度読んだ「荒木飛呂彦の漫画術」には、アイデアノート・身上調査書・世界観のためのリサーチという技術が登場する。 これらとの共通項を拾い上げて Obsidian ノート を発展させようと思う。
また、梅棹忠夫氏の存命中にワープロだとかは出たはずで、なにか関連したものはあるかと検索したらドンピシャな本が見つかった。 目次にはタイプライター章と、その章の終わりに「ことはおわった」「ワープロの出現」とある。ある種の答え合わせになりそうで、これは楽しみだ。